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2006年05月21日

庭の薄緑に染まる京町家で、煎茶のお稽古 「京風ロハスな暮らし」第8回 (5/20)

                                  ジャーナリスト 木下明美


ある研究会でご一緒している美術プロデューサーのY子さまからお誘いをいただき、
小川流煎茶 家元直々の師範さんにお習いするようになって、はや5年。

稽古場は、何と京都を代表する町家、京都市指定文化財「杉本家住宅」 。
当家は、仏文学者の杉本秀太郎先生のご自宅なのです。祇園祭には伯牙山のお飾り場として、
毎年、通りに面した部屋や「店の間」に屏風や祭りに使われる 懸装品(けそうひん)が飾られます。

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さて、先日、そのお稽古に参りました。庭の木々が開け放された座敷の畳やお道具を薄緑に染め、
居並ぶお仲間たちが、午後の逆光の中で1カ月ぶりの歓談を交わしている様は、
映画のシーンのようでした。

お仲間は画家、彫刻家、陶芸家、書家、造形作家、そして、その奥様方など、
まさに文人サロンのようで、場違いのような、ガサツな私がひとり加わっておりますが(笑)。
時々、杉本先生も書斎から出て来られて、ご一緒にお茶をいただかれ、
洋間にある年代物のピアノ(桑原武夫先生の遺品)を弾かれることもあって、文人サロンは、
美味しい煎茶と見た目も美しき京和菓子と相まって、ぜいたくなことでございます。

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こういうサロン的なお稽古をやらせていただけるのも、京都ならこそ、ではないでしょうか?
人脈が幾重にも重なり合い、あたふたと駆けつけられる地の利の良さ=よくいわれる「京都は狭い」
という利点の一例でしょう。

おままごとのような小さな茶碗に中にほんの1、2滴入った緑のしずくが喉を通リ過ぎるときの味わいは、
お茶を飲むのではなく、まさに味わうお茶=喫茶なのです。
ちなみに空海、最澄、栄西等の留学僧によってもたらされた茶種は、江戸時代中期、売茶翁を元祖とし、
幕末の文人墨客の間で流派が台頭。
小川流煎茶は今からおよそ二百年前、京都の小川可進(1786~1855)によって始められました。
「名は弘宜、通称可進、後楽と号しました。荻野台州に医を学んで御典医をつとめましたが、
若いころから煎茶への関心が強く、五十歳で医業を廃して煎茶家に転じました。
わが国での喫茶の歴史は古く、煎茶は文人墨客の余技として古くから親しまれてきましたが、
流祖小川可進は茶の真味に基づき『茶は渇を止むるに非ず、喫するなり』と主張し、
もと医者であった持ち味を生かして、衛生的な合理的な独自の煎茶法をあみ出しました」
(小川流煎茶サイトより)

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お茶が特に美味しいことでも有名な小川流煎茶の家元は、「お茶の文化史」を教育テレビ人間大学でも
講義をされ、著書も多数あります。元来不器用な私はなかなかお手前も上達せず、
ご迷惑なメンバーなのですが、それでも月一のお稽古日は外さないようにしっかりとマークをして、
いそいそと杉本家に向かうのです。


Writing: owadajunko

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